李 醺雨(り くんう、イ・フヌ、이 훈우、1886年 - 1937年)は、朝鮮の建築家。
生涯
1886年、慶尚南道河東郡に李鍾亀の3男として生まれた。日本で留学し、1908年4月、名古屋高等工業学校建築科に入学し、1911年3月に卒業した。1917年12月31日、朝鮮総督府総督官房土木局営繕課の技手に任じられ、朝鮮総督府の景福宮新庁舎の建築過程に職員として参加した。
1920年、総督府技手を辞職し、李醺雨建築工務所を開業した。これは、朝鮮人により設立された建築事務所の中で最も早い例とされる。
主な作品
- 釜山中学校(1913年)
- 普成学校(1914年)
- 同徳女学校(1915年)
- 民立ソウル病院(1921年、未完成)
- 天道教大神師出世百年記念館(1924年)
- 晋州・一新女子高等普通学校(1928年、慶尚南道営繕課との共同作業)
- 朝鮮日報社平壌支局(1929年)
参考文献
- 김현경; 유대혁; 황두진 (2020). “건축가 이훈우에 대한 연구”. 건축역사연구 (건축역사학회) 29 (3). doi:10.7738/JAH.2020.29.3.037.
- “최초 건축가 이훈우의 발견… 한국 근대 건축사 다시 써야 할 이유”. 서울신문. (2021年3月25日). https://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20210326027001



